ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C60 1

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和50(1975)年5月 仙台市西公園

車歴は↓こちら。

C601 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

C59 27です。C60唯一の保存機で、保存のきっかけはウィキによれば7歳の男の子が国鉄へあてた手紙なのだとか。

江別の鐵様がこの写真を撮影された頃はまだ保存方法が十分ではなく、いささか荒れた様子が伺えますが、現在は一部の部品の欠損はあるものの、キチンと整備して大型機ならではのオーラを放っています。

タネ車のC59 27は戦前形であり、京都の戦後形164号機とは、燃焼室の有無や外観の違いがあります。そのため、C60 1の保存は戦前形C59を伝える側面もあります。

現役時代には補助灯を掲げ、煙突横には小型の除煙板を設けていました。

 

C59を軸重軽減し、C51の置き換えやC57の増備車として地方線区へ転用する計画では、もともと151輌が改造対象となっていたようです。しかし、受け入れ先では大型機故の燃費の悪さや、近代化が遅れるなどの理由からあまり好意的ではなく、結局は47輌の改造にとどまりました。もしも151輌が改造されていたら北海道へも配置され、狩勝峠で爆煙を上げていたかもしれませんね。

同じ改造ハドソン機であるC61・C62の後に登場したことで、運用期間はそう長くはないという判断からストーカーは装備されず、高速運転を要求される優等列車の乗務員からの評判はイマイチな面もあり、運用は急行列車どまりで、九州での一部の運用(「あかつき」「さくら」など)を除き特急列車の本務機としての運用はほとんどありませんでした。東北では前補機運用があったので「はつかり」や「はくつる」のヘッドマークを掲出し列車の先頭に立つことはありました。

 

因みに形式についてですが、C61、C62ともタネ車であるD51、D52と形式番号の1の位を合わせて関連を持たせており、登場順とは関係ありません。確かにC61がC62よりも先に登場していますが、もともと両形式は同時に落成する予定だったのが、国鉄の内部事情によりC62が遅れてしまったとのことです。そして空き番であったC60が、C59からの改造形式として付番されました。同様に改造形式であるD60、D61、D62も登場順とは関係なく、タネ車のD50、D51、D52と関連性を持たせただけであり、登場はD62、D60、D61の順となっています。60番台は改造形式専用の番号となり、いずれも2軸の従台車を履いています。テンダー機で2軸従台車を履くのは、この「6」形式だけです。もしもC63が登場していたら、危うくこの法則は崩れる所でした。(笑)