ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C60 5

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区・青森駅

車歴は↓こちら。

C605 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

同じ日に異なる場所で似たアングルで撮影した3枚のC60 5。追っかけたのか、それともたまたま居合わせただけだったのか。興奮すると熱心にシャッターを切るだけで、いちいちナンバーを確認しませんよね。でも別の角度からの写真もあれば・・・。

C60は限られた線区で限られた期間しか稼働しなかったため、外観上の個体差はさほど大きくはなかったと云えます。1~39号機までの0番代は戦前形のC59を改造したので、先輪は補強付きのスポークです。戦後形の100番代やC61、C62がディスクを履いているのとは対照的です。

除煙板の先端下部が三角形状に取り外し可能なボルト留めとなっています。理由は分かりません。除煙板の手摺は4号機とは異なり、フロントデッキには固定していません。

ドームからの砂撒き管は、5号機では普通に露出していますが、4号機ではC59時代からの流れでボイラケーシングの中に隠す構造となっていました。C62にもそういう構造はありましたが、どうしてそんな面倒臭いことをしたのでしょうね。美観上?

 

昨日は久々に南の里(千歳線 北広島~島松)で2時間半ほど撮影してきました。風を伴う雨がちの天気でしたが、跨線橋の下で雨を凌いでの撮影でした。カメラは島松方に向けています。晴天なら日中はモロ逆光になります。

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向かい風ということもあり、ギリギリまで下がった位置にカメラをセット。つか、ここまで下がらないといいアングルが取れないのですけどね。本当はもっと前の、跨線橋から出た場所がベスト。草むらが踏み固められていましたし。

 

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天候不良の時には、跨線橋の存在がとてもありがたいです。この跨線橋が完成する前は、画面の左側数十メートル離れた所に踏切があったと思われます。地図を見ると道路が分断されている格好になっています。

 

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撮影する方向とは真逆の方に虹が少し現れました。

ご覧のように背後は、沿線が草木で覆われており、上り列車の運転席から私の後ろ姿を確認できるのは極く接近してからになります。けれども、その先、カーブしてすぐのところには第四種踏切があるので、ほぼ全ての上り列車が思いっきり警笛を鳴らして通過して行きました。

踏切以外で、このように線路近くで撮影できる場所は少なくなっていますが、この場所だけは柵などできないように、撮影者には絶対に危険な撮影はして欲しくないですね。

因みに2時間半ほどカメラを固定しての定点撮影を行いましたが(YouTubeにアップ済)、列車通過時の振動を抑えるために手振れ補正機能をオンにしました。したっけ、こまかい「振動」がゆったりとした「揺れ」に変化したたため、前後のシーンとは若干フレーミングが変わってしまいました。ま、予期したことではありましたが。コンニャク現象が発生しないのなら、普通に振動のままの方が自然かもしれません。

以上はスマホで初めて撮った写真でした。