ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C60 10

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 原ノ町機関区

車歴は↓こちら。

C6010 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

東北・常磐線沿線に散在する仙台運転所、長町機関区、原ノ町機関区、平機関区などを訪問し、大型機大好きな当時のSAMPUKU爺少年はさぞや満足されたことでしょう。羨ましい限りです。原ノ町D51主体の機関区ですが、C60なども骨を休めていたのですね。

煙室扉の下にあるエプロンは5号機よりも幅広のものです。エプロンはシンダ除けとも呼ばれ、煙室内のシンダを掻き出す際に、シンダが給水温め器覆いと煙室下部の間の狭い空間に入り込むのを防止するためのものですが(隙間に入り込んだシンダを掻き出す手間を省くため)、エプロンのない機関車が相当数いたということは、必ずしも必要な部品ではなかったということでしょうか。C60では、エプロン無しの方が多かったようです。また機関車によってエプロンの大きさや形状は様々でした。テンダー機では旅客用・貨物用を問わず幾つかの形式に取り付けられましたが、タンク機には装着されませんでした。エプロンの有無や形状で、機関車の表情も変わるのが面白いです。表情という点では、機番が二桁になったことで、ナンバープレートの大きさも煙室扉の大きさとバランスが取れた様に思います。C61だとナンバーの書体や文字の大きさ、文字間隔がバライティに富み、実に表情豊かで自己主張さえ感じますが、C60ではC59時代の威厳からか、落ち着いた印象を受けます。やんちゃなC61、大人のC60って感じで。