ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂機関区から苗穂運転所へ変わった頃

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和62(1987)年5月

JR北海道設立から2か月目。国鉄苗穂工場はJR苗穂工場へと看板が変わりました。車輛の方はと云うと、まだ国鉄時代の頃となんにも変わりません。キハ54は国鉄最後の新造新形式車。「フラノエクスプレス」は国鉄最後の新形式ではあるけれど改造車。因みに苗穂のキハ54は札沼線と山線で活躍。

車体にペタペタ貼られた間の抜けたデザインの「JR」マークに、当時はなんか腹立たしかったです。つい、スタイリッシュな「JNR」マークと比較してしまって。首都圏では「国電」に代わって「E電」が採用されたけれども、あまりのダサさにすぐに廃れてしまいました。有名人や識者は、庶民の感覚とズレまくっていたのでしょうか。

それにしても583系電車。485系のサシ481もですが、一体何しに北海道に来たんだか・・・と誰しも思ったことでしょうね。583系では一部の台車が「クリスタルエクスプレス」に転用されただけでした。

キハN183系は新特急色もまぶしく、新会社の看板形式として颯爽と走り抜けていきました。