ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C61 2

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和49(1974)年5月12日 梅小路蒸気機関車館

車歴は↓こちら。

C612 機関車データベース (形式C61) 2 - デゴイチよく走る!

すでに現役のC61はこの2号機のみとなっており、この日、京都~姫路間で運行される「SL白鷺号」の牽引に向けて出区するシーンだと思います。

 

C60と似ていますが、ランボード前端からスロープへの形状、フロントデッキの手摺、ドーム後部の形状、キャブ前妻の形状、従台車の形式、炭水車などに違いが見られます。C61はC62と同時に設計されたので、構造上はC62との類似点が見られます。

C62は特甲線である東海道山陽本線向きの大型機関車ですが、これを軽量化し、常磐線函館本線でも運用されましたが、実はC61にも軽量化(あくまでも動輪の軸重を軽くするということで、機関車全体の重量は変わりません)機能は備わっており、C58が入線する路線にも投入は可能でした。釧網本線陸羽東線七尾線にC61が走ったら、こりゃあ、どえらいことになっていたかも。しかし橋梁などの構造物がこの大型機関車の重量に十分耐えることができたかどうかは分かりません(機関車本体で、C58は約59トン、C61では約80トン)。軽量化は従台車の位置をずらすことにより、動輪の軸重を従台車へ移動させ、動輪軸重を減少させることができました。

 

「SL白鷺号」は梅小路蒸気機関車館が開館した昭和47年10月より、主に京都~姫路間で運転されたSL列車で、C61 2やC62 2の他に、保存機ではないC57 94も牽引していました。実際には開館前の同年4月にも運転されましたが、動態保存機による営業運転という趣旨では10月からと捉えてよろしいかと思います。大都会の中をSL列車が走るというのは、それも大型機であるC61やC62とあっては、ファンならずとも一目見ようとばかりに沿線はギャラリーで溢れたようです。運転開始当初はもっぱらC62 2がヘッドマーク無しで運転にあたっていました(12系客車12輌を牽引)が、昭和48(1973)年頃より以降はC61 2が任務を引き継いだようです。

 

この日はヘッドマークにも明記されているように「大阪⇔神戸鉄道開通100年記念」と銘打っての運転で、12系客車10輌を牽引したようです。タブレットキャッチャーを使用したのかどうかは分かりませんが(笑)、磨き上げられた巨体で、都会の駅を通過するなんて実に痛快な気がします。