ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C61 15

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 新地駅常磐線

車歴は↓こちら。

C6115 機関車データベース (形式C61) - デゴイチよく走る!

補助灯は付けていますが、仙台運転所所属機には煙突横に小除煙板はありません。

前端梁には後部標識灯掛けがありますが、肝心の標識灯がありません。バック運転をしないのであれば、なくてもよかったんですね。と、以前の何かの記事でも書いたような気が・・・。

C60と異なり、除煙板の上部ステーに変形したものは今のところありません。

NEKO MOOK 1682『「SL甲組」の肖像 6』の8-9ページには昭和33(1958)年に撮影された15号機の写真が掲載されていますが、煙室扉のハンドルの形が異なっています。東北初の特急「はつかり」の試運転時のものですが、この時の「はつかり」は急勾配のない常磐線経由でした。上野~仙台間はC62単機、仙台~青森間はC61単機、そして盛岡~青森間はC60が前補機となる重連で、「さくら」のお下がりであるスハ44系客車を牽引して、みちのく路を駆け抜けました。しかしそれも僅か2年後の昭和35(1960)年にはキハ80系気動車にバトンを渡します。それでもその4年後の昭和39(1964)年には、20系寝台特急はくつる」が東北本線経由で運転されるようになります。上野~黒磯間はEF58、黒磯~仙台間がED71、そして仙台~青森間は往年の「はつかり」を彷彿とさせてC61とC60が牽引にあたりました。栄えある蒸機牽引のブルトレですが、夜行列車だけあって撮影は困難であり、駅でのバルブ撮影以外、なかなか写真はお目にかかりません。今の超高感度デジイチなら、難なく撮影できちゃったかもしれませんけど。