ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 2

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20220124073602j:plain

f:id:railway-photo:20220124073613j:plain

昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

函館本線電化前、変形2灯時代。

 

f:id:railway-photo:20220124073653j:plain

f:id:railway-photo:20220124073703j:plain

f:id:railway-photo:20220124073712j:plain

f:id:railway-photo:20220124073725j:plain

f:id:railway-photo:20220124073736j:plain

昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

怒涛の3灯時代。この頃になるとC62重連を求めてファンが山線に入り浸るようになりました。三脚が林立するようなことはなかったようですが、名作が多数生まれます。

 

f:id:railway-photo:20220124073809j:plain

f:id:railway-photo:20220124073819j:plain

昭和43(1968)年12月31日 小樽築港機関区

標準的な2灯になりました。

 

f:id:railway-photo:20220124073850j:plain

f:id:railway-photo:20220124073902j:plain

f:id:railway-photo:20220124073914j:plain

昭和47(1972)年9月17日 長町機関区

小樽築港区から梅小路区へ回送される途中、遭遇する台風から避難するために二日間、長町機関区に緊急駐留したのだとか。ここは電気機関車の検修庫になります。ピット付近にあるL型の台は車体を持ち上げるジャッキアップ装置かと。

煙室扉のハンドルがないので、何となく妙チクリンな顔に見えます。扉が開いたりしないのでしょうか。職員の人はナンバープレートの拓本を取っているようです。子供たちはその家族でしょうか?

車歴は↓こちら。

C622 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

某松本氏が命名したとされる「スワローエンジェル」の愛称は、C62ファンにとっての憧れの対象となるに相応しいものだと思います。ま、私は使いませんけど、除煙板に輝くツバメマークは、国鉄バスの車体に描かれたツバメの絵と共に、私の心に響くものであったのは事実ですけど。何てったって「国鉄スワローズ」(現「ヤクルトスワローズ」)なるプロ野球球団名からして、特急「つばめ」より始まる国鉄とつばめとの縁には深いものを感じます。国鉄職員によるツバメのデザインも秀逸です。かつて40万人以上もの職員を擁した国鉄には、様々な才能を持つ職員がいたようです。ツバメマークは2号機以外には18号機も付けましたが、こちらは頭を下に向けて「下がりツバメ」と呼ばれていたとか。他に12号機も付けていたという証言はありますが、写真が見つかっておらず、その真偽のほどはいまだ不明です。因みにC11 41にも巨大なツバメマークが描かれていました(笑)。

2号機は東海道山陽本線で主に特急牽引にあたっていましたが、軸重軽減工事を受けた上で北海道へ移り、「大雪」「まりも」「ていね」「ニセコ」といった山線経由の急行列車を重連で牽引しました。華やかな東海道山陽本線での優雅な活躍から一転、都落ちでの運用ながらも、その持てる力を最大限に発揮しての怒涛の走行シーンには多くのファンが熱狂し、SLブームの火付け役だったとも云えるでしょう。ただ、2号機はカマの調子があまり良くはなく、乗務員から本務機運用は好まれていなかったそうですが、ファンも写真写りの関係から本務機運用ではなく前補機運用を望んでいましたね。

 

私個人は2号機が列車を牽引する姿は2度しか見ていませんが、50年前に初めて見た時の感動は、今でもはっきりと覚えています。

急行ニセコ乗車 - ただいま鉄道写真スキャン中