ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 3

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月11日 黒松内

ファンには好かれなかった三つ目時代の姿。わずか3輌編成。この頃はまだ寿都鉄道が健在で、8100がヘロヘロ線路をトロトロ走っていたことでしょう。

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

メジャーな2灯となった姿。もっとも、補助灯すらも嫌うファンは少なからずおりましたが。

 

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昭和43(1968)年12月31日 小樽築港機関区

タブレットキャッチャーがイカメシではなくいかめしい。色々なタイプがありました。

 

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昭和52(1977)年4月23日 手宮

C12 6、C55 50らと共に、手宮で保存されることになりました。

 

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昭和52(1977)年4月29日 手宮

ナンバープレートを装着すると、ぐっと男前になります。

 

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昭和52(1977)年5月1日 手宮

公開初日。特にセレモニーはなかったようでした。日章旗を揚げて長き保存を願います。この頃は、まさか復活して再び山線を走るなどとは露ほども思いませんでした。

車歴は↓こちら。

C623 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

急行「ニセコ」運用で2号機との重連(本務機3号機、前補機2号機)はゴールデンコンビと呼ばれ、C62ファンを絶頂の極みに昇天させました。2号機が京都へ移った後、晩年には15号機、16号機の重連はシルバーコンビと呼ばれたものの、さほど騒がれませんでした。金と銀とでは天と地ほどの差があるようです。

急行「ニセコ」の運用をDD51に託した後、3号機は廃車になるかと思われましたが、ファンが北海道総局へ熱心に要請したことにより、1年以上も普通列車の運用に生き永らえることになります。しかし急行「ニセコ」ほど注目されることはなく、ひっそりと運用を終了したようです。