ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 17

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和45(1970)年9月24日 糸崎機関区(呉駅構内かもしれません。)

車歴は↓こちら。

C6217 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

云わずと知れた、狭軌鉄道における蒸気機関車の最高速度ワールドレコード保有機です。129km/hという記録を、単機運転時、東海道本線木曽川橋梁上で叩き出したということですが、某書籍によれば、当時の名古屋機関区の機関士は、定期列車で130km/h以上で走ったことがあると語っており、裏ではもっと速く走っていたようです。

それまでの世界公式記録は南アフリカ鉄道の16E形式による113km/h(70マイル/h)ですが、これは客車を牽引してのものです。16Eは動輪直径が1829mm(6フィート)であり、狭軌鉄道としては世界最大のもの。C62が130km/hで走る能力があるならば、16Eでは145km/hも可能だったのではないかと云われており、南アフリカの機関士は実際にその速度を出したと語っているそうです。

その16Eに対抗して国鉄の技術陣たちは動輪直径1850mmのKC51、KC54形式(ともにパシフィック)を計画しました。16Eが軸重20トンに対して、こちらは17トン程度。機関車の整備重量はC62程度ですが、17トンは当時の国鉄でも今のJRでも重すぎます。C62のようにハドソンにすれば16トン以下が可能だったでしょうが、当時はまだ2軸の従台車は開発されていませんでした。特急専用機との考えがあったようですが、運用は無理ということで計画だけに終わりました。

16Eがわずか6輌の製造に終わったのに対してC62は49輌。その差をどう捉えるかは研究者たちに任せたいと思いますが、蒸気機関車の研究・開発に関しては南アフリカ鉄道が一歩も二歩も日本の先を行っていたようです。