ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 23

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 平機関区

ヘッドマークは裏返し?

 

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昭和45(1970)年9月24日 糸崎機関区

車歴は↓こちら。

22号機同様に、煙室扉ハンドル下の手摺(取っ手?)が特徴的です。

カマの状態が非常に良好だったことから、優先的に特急「ゆうづる」の牽引にあたったそうです。反面、糸崎区へ移ってからは、軸重軽減措置を解除しなかったため空転を起こしやすく、急行「安芸」の先頭に立つことはあまりなかったのだとか。

糸崎区では補助灯の撤去、除煙板に点検口の開口(蓋付き)などの改造が施されています。前端梁には後部標識灯掛けが追加されたように見えます。

常磐線時代に電化対策で煙突を短くしたと云われていますが、回転式火の粉止めを装着するため、その分、煙突を低くしたということのようです。(ビリビリきちゃうから。)しかしながら常磐線のC62の写真を見ると、くるくるぱーを装着した姿はなかなか見かけません。良質な石炭を使って煤煙の排出量を抑えていたからでしょうか。くるくるぱーを装着し、爆煙で天を突いていた北海道のC62などとはだいぶ様子が違うようです。

逆転機は22号機などと異なり、動力式をそのまま使用していました。

キャブ側面にはかつてタブレットキャッチャーがありましたが、それをかわすため、ナンバープレートは側窓のすぐ下にあります。

一番下の炭水車背面の画像では、SG管がぶら下がったままです。一体、何をしていたのでしょうねえ。ステップにはハンマーなどの工具が載っているので、点検中だったのでしょうか。そしてまた、横づけしているホームは一体何の施設なのでしょう。