ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 30

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

C6230 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

ボイラーを新缶に交換してすぐに渡道してきました。北海道にやってきたC62はいずれも渡道直前にボイラーを交換しています。ただ機関車によってボイラーの調子には差があったようで、2号機などはパッとしなかったそうです。一方、この30号機は良好だったとか。

1年違いの上記の画像で分かる通り、シールドビームの有無が確認できます。ナンバープレート上の補助灯にしてもシールドビームにしても、点灯しているところは現物でも写真でも見たことがありません。キハ283が鹿対策として9つもの前照灯を全て点灯(時には点滅)させるのは「スーパーおおぞら」運転当初の頃は普通に見られましたが、今でも見られるのでしょうか。DF200-901には前照灯が4つ並んでいますが、揃って点灯しているのを見たことはありません。国鉄時代には日中の点灯はトンネル突入以外ではなかなか見ることはありませんでしたが、新幹線だけは開業当時から日中でも必ず点灯していました。そもそも前照灯は前部標識灯という正式名称が示す通り、標識灯であって照明ではありません。列車や車輛の存在を示すものに過ぎません。今の鉄道車輛の前照灯は照明の役目も果たしていますが、そうではなかった時代の夜間運転はまさに闇の中での運転だったことでしょう。せいぜい信号機以外は、沿線の景色も分からない中での運転なんて、到底信じられませんね。まさに神技です。