ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 44

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

急行「ニセコ」の前身である急行「ていね」の運用に向けて待機しているところでしょうか。

 

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昭和42(1967)年8月10日 倶知安駅

SAMPUKU爺様は急行「ていね」に乗車された模様。周遊券だと急行券無しで急行列車に乗車できるのがありがたいところ。「ていね」には食堂車マシ35が組み込まれていました。マシ35と云われても、見たことありませんが。

 

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昭和42(1967)年8月10日 長万部駅

こちらは下りの急行「ていね」。上り「ていね」で前補機だった44号機が、下り「ていね」でも長万部から補機となって小樽へ戻ります。

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

短期間だった三つ目時代。コアなファンからは「醜い」とかで嫌われていたそうですが、いっそ集煙装置も装着し、ガッツリ重装備にした方が清々しいように思います。

煙室扉全体にLEDランプを貼り付けたら、すっげー照度でしょうね。

画像ではちょっと分かりにくいのですが、ドーム前方に缶胴を回り込む様に配置されたステップ。ランボードからボイラー上面に上がるためのものですが、途中に横一直線の手摺が横切っているため、その箇所付近のステップが使い辛くなっています。そのため北海道のC62では、その部分のステップを撤去しています。つまり、手摺をステップ代わりにしているわけで。

車歴は↓こちら。

C6244 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

C62が貨物列車を牽引した写真は見たことがありませんが、ラッセル車バラスト撒布のホキ車といった事業用列車は牽引したことはあります。あまりに荷が軽すぎるような気がしますけどね。