ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 45

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20220208075208j:plain

f:id:railway-photo:20220208075221j:plain

昭和42(1967)年8月20日 平機関区

車歴は↓こちら。

C6245 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

煙室扉下方の横手摺(取っ手?)が、何か水平でないように見えます。

給水温め器のカバーから汽車會社製であることが分かります。

最終年度に製造された日立製の19~21号機と、汽車會社製の45~49号機の8輌は、軸重軽量タイプとして誕生しています。最初から東北・常磐線への投入を見込んでの措置で、後に糸崎区へ異動した46~48号機も含めて、本来の重軸重機となることはありませんでした。牙を2本抜かれたままのトラといったところでしょうか。ちょっと違うか。

45号機は「ゆうづる」を牽引してはいるものの、ボイラーの調子の関係でもあったのか、運用回数は少なく、あまり写真には記録されていません。同じC62と云っても1輌1輌がハンドメイドの蒸気機関車。クセや個性は付き物。いくらボイラーを新缶に交換したといっても、それすら同じ仕上がりにはなりません。またC62自体、燃焼室には甲缶・乙缶・丙缶の3タイプが存在しており、そうした差異が性能に影響したとも考えられます。そうした機関車の癖を掴んで定時運転に務めるのが、腕の立つ機関士・機関助士だったのでしょう。