ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 74

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月5日 岩見沢機関区

 

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昭和42(1967)年8月12日 岩見沢機関区

 

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昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区

車歴は↓こちら。

D5074 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

形式入りナンバープレートが凛々しいです。解放テコは昔ながらの片側。

除煙板前端に手摺は無く、フロントデッキ上の手摺は残されたままです。

後部標識灯がランボード上にあるのは北海道機の特徴です。雪に埋もれにくいからのようです。

「THE rail No,99」によれば、本機が9900としてはバッファー付きネジ式連結器の最終機だったそうな。確かに、下の画像の前端梁向かって左側(ボルト縦3本並びの左側)には、丸く埋めたような跡が見られます。因みに北海道最初の官営鉄道である幌内鉄道はアメリカ人の指導により建設・運営されたので、最初から自動連結器を装備し、空気ブレーキを採用していました。

フロントデッキにどっしりと鎮座する給水温め器は本省丸型と呼ばれるものですが、オリジナルは弁当箱のような角型でした。しかしあまり具合が良くなかったのか、早期に丸型に変更されたり角型から丸型へ交換されたそうです。因みに本省というのは当時の国鉄である鉄道省のことです。

除煙板の点検口部は、何だか溶接のビードを盛ったような形に見えます。

煙室扉回りの手摺は短めです。オリジナルは、蝶番付近までぐるりと伸びていました。

その煙室扉には、ナンバープレート斜め下にボルト頭のような突起が左右一個ずつありますが、これは何なのでしょうね。扉裏に何か取り付けてあるのでしょうか。化粧煙突と合わせてチャーミングに見えなくもありませんが、突起のある機関車が少数派のようです。