ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 124

田中 泰三爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年5月30日 松任工場

車歴は↓こちら。

D50124 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

既に廃車となって工場入りした姿のようです。ググってみると、信越線を中心に貨物や旅客列車までも牽いていたようで、その頃は特徴ある除煙板や集煙装置を装備していたようです。晩年は除煙板も集煙装置も取り外し、福井機関区で入換専用となっていたんだとか。この機関車というか、信越線で働いてた機関車全般に言える最大の特徴は、蒸気ダメと砂箱の間に設置された重油タンクでしょうか。重油併燃装置を搭載していました。D51に比べると引退が早かったため、D51ほど注目される機会は多くはありませんでした。入換機になっても重油タンクは背負ったままだったんですね。

D50にシールドビームは全然似合いませんが、福井に来てから交換されたようです。

煙室前面板は2段重ねです。煙室が太いための補強だったのでしょうか。1枚ものの機関車もありますが、後年改造(交換)されたものでしょう。既出の74号機は中途半端な2段重ねです。

入換機では逆転機を動力式に交換するケースは珍しくありませんが、この機関車はネジ式のままです。

D50のキャブはD51や他の機関車に比べるととても広く見えます。D50は広火室とするために火室をキャブ内に深く食い込ませているので、見た目ほどキャブ内は広くないようです。運転席からキャブ前窓までは距離があって、前方視界は狭そうです。キャブ側窓は横長の大窓ですが、原設計では2枚に分割されていました。9600同様に、側窓は多くの機関車で改造されています。密閉式キャブに改造されたD50はいたのでしょうか。