ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 131

田中 泰三爺様、藤田慶二様、SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年3月27日 米原駅か機関区か操車場

 

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昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

車歴は↓こちら。

D50131 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

N-2タイプの門デフ(長工デフ)が目を引きます。124号機と同じく糸魚川機関区にいましたが、こちらは米原機関区へ転属し、E10の置き換え用として米原~田村間の交直接続運用に晩年を過ごしました。同区間では交直流電気機関車ED30も運用に就いていましたが、僅か1輌のみの試作機関車だったので全ての運用をこなすのは無理でした。

 

昭和40(1965)年頃の写真を見ると、前照灯は庇付きのLP403ですが、それが2年後の写真ではLP42になっており、そして更にこの画像では庇無しのLP403となっています。

フロントデッキ上の手摺を撤去し、除煙板の前ステーに手摺を設けています。上部ステーの折れ曲がりは124号機と共通する形状かと。入換機となった124号機とは異なり、LP403の大型前照灯がD50にはお似合いです。化粧煙突もD50らしさを漂わせています。

ボイラーを跨ぐように左右のランボードを結ぶ梯子ですが、蒸気ダメと砂箱の間に設置されています。中には砂箱の後方にあるもの(こちらが主流のようです)、或いは両方の位置にダブルで備えた機関車(59号機、323号機など)もおりました。

 

昭和43(1968)年10月の「よんさんとお」を前に、D50の一部はD51へ置き換えられ、またそれもダイヤ改正でDD50に置き換えられて、田村デッドセクションから蒸機の姿は消えました。