ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 187

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区

 

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昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区

車歴は↓こちら。

D50187 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

逆光でちょっと写りが悪いですが、187号機はネットをググっても出て来ません。

D50は実力がありながらもD51の陰の存在みたいな扱いだったことに加え、SLブーム到来の頃には北海道はもとより、全国的に数を減らしていたのにもかかわらず、多くの汽車キチは大型・中型の旅客用機関車にばかりカメラを向けていたので(当時はフィルムが高価なものであり、D51などには目もくれないファンが少なからずいたようです)他形式に比べると、あまり記録されないうちに姿を消してしまった感があります。

 

除煙板前端に手摺がなく、フロントデッキの手摺が残されています。

キャブ側面のオリジナルの2枚窓は、ちょっと窮屈そうに見えます。キャブ側面は広い割にはナンバープレート、区名札差し、運用札差し、タブレットキャッチャーなどが狭苦しくひしめいています。

キャブ出入り台には、雨水用の縦樋が手摺を兼用しています。9600なんかだと、冬場は出入り口にカーテンを吊るし、防寒対策を施していましたが、密閉式キャブではないD50でも同様の処置を行っていたようです。

キャブ側面下方には、何やら丸頭の突起物が2カ所見えます。左側のは丸くくり貫いた空気取り入れ口蓋のピンだと思うのですが、右側のは一体何なのでしょう。

炭水車は7-12形式のようです。