ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

上砂川支線

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和62(1987)年5月6日

札沼線新十津川駅から国道を通って砂川駅に到着したのだと思います。

f:id:railway-photo:20220312194927j:plain上砂川支線のある構内にはかつて何本もの線路が敷かれ、セキ車が何十輌も並んでいたことでしょう。白ペンキで描かれた数字はレールの長さを表しているのでしょうか。

 

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函館本線には新鋭のキハ54が。単行ですけど。函館本線のホームと上砂川支線のホームとは長い跨線橋で結ばれております。留萌駅も羽幌線のホームは離れていたので長いホームを歩かされました。かつての鷲別駅も上下線のホームは操車場を挟んでいる関係で離れており、こちらは地下道で結ばれていました。

 

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ここから乗車したのかどうかは定かではありません。こちらのホームにもちゃんとした事務所があったんですね。貨車の入換とかやっていた関係でしょうか。

 

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上砂川駅

立抗櫓が聳えています。炭鉱のシンボルですね。赤平や奔別にまだ残っていたかと。

 

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倉本聰氏脚本のTVドラマでは「悲別駅」として舞台になりました。

平行する道道115号線にはバスがそこそこの本数で走っており、鉄道利用者はとても少なかったそうです。しかし函館本線の一部ということで、特定地方交通線の適用は受けることなく、しばし延命されました。かように赤字ローカル線の定義なんて曖昧なものなのです。