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昭和62(1987)年5月
政和~雨煙別
朱鞠内~湖畔
深名線なら最後の1年間だけ撮影に行きました。すでにキハ22の姿は無く、キハ40もJR北海道色に変わっていました。キハ53がメインで運用に就き、検査の関係でキハ53が不足する時にはキハ54が代走していました。夏場にはキハ40も出動しました。
第3雨竜川橋りょうは土木学会の選奨土木遺産に選定されており、昭和初期に建設された鉄道橋の姿を今に伝えています。当時は撮影ポイントとしても有名でした。
下の画像では、中央部にトンネルの入り口が見えます。羽幌と結ばれるはずだった名羽線のものです。朱鞠内駅から深名線と分岐しており、その築堤跡は後々まで残っていました。人跡未踏のような地に敷かれる線路にどれだけの価値があったのかと思うのですが、鉄道敷設法が制定された大正時代は北海道のほとんどの地がそんな場所でしたから、鉄道は旅客輸送用ではなく、森林資源である木材や炭鉱で採掘される石炭の輸送などを目的とした貨物輸送用でした。当時は自動車が走れる道路はわずかしかなく、大型の貨物トラックも無い時代ですから、大量の貨物を陸送する手段は鉄道しかありませんでした。トラックやトレーラーにコンテナを積んで、全国津々浦々へと荷物を運ぶ現代から見れば、北海道の大正時代は原始時代とそう変わらないように思える時代だったことでしょう。