ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

天北線

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和62(1987)年8月7~8日

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名寄駅

稚内行き急行「天北」が、名寄駅で機関車をDD51からDE10に付け替え、終着駅を目指します。DE10が牽引する定期の急行列車って、「天北」くらいではなかったでしょうか。後に夜行急行「大雪」もDE10やDE15で牽引したようですが。

 

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音威子府の北側

宗谷本線をホキ工臨が北上します。手前の線路が天北線

 

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音威子府から稚内方面へ進みます。線路に平行する国道275号線は拡張工事が行われており、またこの付近は国道40号線音威子府バイパス(音威子府~中川)のインターチェンジとなるため、大掛かりな工事が実施されています。

 

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鬼志別駅 726D

 

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小石 急行「天北」

 

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急行「天北」

 

天北線は天塩線としてまず旭川~名寄間を明治42(1909)年に開業。

大正元(1912)年に恩根内まで延伸すると宗谷線に改称。

大正8(1919)年、浜頓別までの延伸に伴い宗谷本線に改称。

大正10(1921)年、鬼志別まで延伸されて再び宗谷線に逆戻り。

大正11(1922)年に稚内(現 南稚内)まで延長されて宗谷本線に再改称。

大正15(1926)年に天塩南線、天塩北線として建設されていた現在の幌延経由の宗谷本線が全通すると、音威子府稚内(現 南稚内)間を天塩線として開業。

昭和5(1930)年に天塩線を宗谷本線に編入し、従来の宗谷本線のうち、音威子府稚内(現 南稚内)間を分離して北見線と改称。宗谷本線は幌延経由の旭川稚内(現 南稚内)間の路線となりました。

そして昭和36(1961)年、北見線を天北線に改称。

JTB刊「停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅰ」より)

新潮社の「日本鉄道旅行地図帳 北海道」編のP47の記述は誤っているのではないでしょうか。