ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 9

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 大分運転所

車歴は↓こちら。

D519 機関車データベース (形式D51) - デゴイチよく走る!

車歴表によれば、一時期C55 51と炭水車を交換したとありますが、この画像ではちょっと分かりにくいのですが、どうもC55用の炭水車に見えます。前側の上部切り欠きが幾分大きく、後ろ側の上部切り欠きが小さいからです。実際、機芸出版社の「蒸気機関車の角度」のD51 9の写真ではC55用の炭水車であることがよく分かりますし、BeeBookS「記録写真集 昭和40年代の鉄道 第4集/九州編」に掲載されている振替相手であるC55 51の写真では炭水車は明らかにD51のものです。この他に炭水車を振り替えたとされるD51には12号機、23号機、93号機があったとされ、それぞれC55 52、C55 53、C55 54と一時期交換したとなっていますが、後にアップするD51 12も、ネット上で確認できるD51 23(ただし、スーパーなめくじから普通のなめくじに改造後)もD51 93もC55の炭水車となっていますし、このブログでアップ済のC55 52、53、54号機の炭水車はどう見てもD51のものですので、交換した後にオリジナルの炭水車に戻したというのは誤記ということになります。 

ナメクジは空転しやすいということと、その構造から集煙装置が取り付け難いことから、山岳路線での運用には就けませんでした。最初は全国にくまなく配置していましたが、そうした使い勝手の面からやがて配置区に偏りが出るようになりました。昭和42(1967)の配置では、94輌のナメクジのうち34輌が北海道に配置されています。昭和16(1941)年には95輌のうち北海道への配置は17輌でしたから倍に増えています。北海道では集煙装置を搭載しなくてはいけないほどの峠はないとみなされたのか、装着した機関車は存在せず、入換用だったナメクジを除けば自然と北海道に集中したのかもしれません。

九州機ながらキャブ側面のナンバープレートは前方へ飛び出てはいないものの、側窓の下窓枠の上に乗っかるほど上方に取り付けられています。

リンゲルマン濃度計が見えませんが、幾分後方に取り付けられており、前照灯の陰になっている模様。