ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 14

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

 

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昭和47(1972)年6月14日 旭川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5114

 

落成順ではD51のトップを飾って誕生しました。西尾克三郎さんの「ライカ鉄道写真全集 Ⅲ」では、落成間もない頃の14号機と1号機の姿が収録されており、D50から大きく近代化された姿に、西尾さんはどんな気持ちでシャッターを切られたのでしょう。

14号機も煙室扉回りの手摺はこじんまりとしていますが、前述の写真集を見ると、もともとそこに手摺はありませんでした。まるっとしてのっぺりしているばかりです。つまり手摺は後付けということになるのですが、工作を簡略化するために、こんなコの字形手摺を付けたのでしょう。14号機は贅沢にも2カ所あります。

1~13号機までは川崎車輛製で、14~23号機は汽車會社製。同時期に製造されましたが、両者にはディテールに幾つかの相違があります。一つ目は、煙突前部のアール形状。川崎製は煙突上端からの大きなアールで、汽車製は煙突上端より少し低い位置からちょっと小さめのアール。砂撒き管の3本目は、川崎製は後部へ引き寄せられるように斜めに配置されているのに対して、汽車製は他の2本と平行するようにそのまま真っ直ぐ配置されています。しかしながら、後の改造によるものなのかどうかは分かりませんが、煙突前部の形状は、川崎製でもアールが小さめの機関車も出現しています。なお、ナメクジには日立製もありますが、川崎製に近い形態に思えます。

炭水車台車の台枠の形状が川崎製の13号機とは異なりますが、後に紹介予定の川崎製24号機では14号機と同じ形状なので、これはメーカーによる違いではなさそうです。