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昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D5116
除煙板は切り詰め前ですが、キャブは既に密閉化されています。戦前の樺太庁鉄道向けの8650形式(=C50形式)やD50形式(=9600形式)では最初から密閉化されており、特に8650形式の落成は昭和5(1930)年とかなり早い時期でした。9600の密閉化キャブは、39670をこのブログで紹介させていただいておりますが、昭和16(1941)年落成の三菱鉱業5号機(美唄鉄道、後に大夕張鉄道へ移りNo.2に改番)は最初から密閉キャブで落成しています。しかし、いつの間にかキャブは開放形に改造されてしまいました。ヤマの熱い男たちにとって、キャブへの出入りに扉は邪魔だったのでしょうか。
正面のナンバープレートですが、気持ち上向きに付いています。上も下と同じ長さのボルトを使ってしまったのでしょうか。
ドームの砂撒き管付近のカバーに左右とも「段ち」があります。工作が雑なのか、他の機関車のものを流用したのか。天下の汽車會社製ですから、そんな雑な工作などするはずはありませんので、落成後に生じたものでしょう。多分。
煙突前の「舳先」が、13号機以前の川崎製に比べて小振りなのがよく分かるかと。