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昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D5127
比較的早い時期に除煙板の切り詰めが実施されたようです。切り詰めデフは、オリジナルのスタイルを損なっている一方で、C57のように煙室が奥まっている形式では、斜め前のアングルでも除煙板の陰にならずにナンバープレートがちゃんと見えるという利点もあります。
小樽駅での急行「ニセコ1号」は、札幌から乗車した列車で、同級生とそのお兄さんとの3人で倶知安かその辺りまで乗車を楽しみました。小樽駅でED76からC62重連に交代するのかと期待していたら、前補機は予期せぬD51。ちょっと呆気に取られましたが、もしかすると珍しいのではと思い直し、しかもナメクジだし一応写真は撮っておきました。当時の多くのカメラマンが綴った撮影記事を読むと、急行「ニセコ」の先頭がD51だった時にはガッカリする内容ばかりです。その頃であっても、D51はありふれた形式で、貴重なフィルムをD51には使わずに見送るファンも少なからずいたんだとか。隣のD51は「ニセコ」よりも先に札幌を出発していた122列車で、小樽で「ニセコ」に道を譲ります。なんでか、そのD51の写真を撮っていないのは、やはり私にも「何だ、D51か」という意識があったのでしょうか。バカ過ぎる自分。更に、本務機のC62すら撮っていない始末ですから、もう何をか言わんや、イワンのバカ、プーチンのあんぽんたん、キンペーのすっとこどっこい、ジョンウンのウンコたれベえです。因みに本務機のC62は確か44号機で、以前撮影したことのある機関車でした。
清缶剤送入装置は、キャブすぐ前ではなく、ちょっと離れた位置に設置されています。なぜにそんなややこしい場所に。
除煙板の点検口は蓋が外されていますが、蝶番はそのまま残されています。縁取りがなく角ばった切り口は、ちょっと味気ない。
キャブは密閉化済。密閉化に伴い、炭水車も改造を受けていますが、その説明は他の機関車で触れたいと思います。忘れなければ。