田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和50(1975)年8月 苫小牧駅
D51の背後に苫小牧機関区があります。駅のホームからは、留置している機関車をいつも眺めることが出来ました。駅の函館方には王子製紙の巨大な煙突が聳えています。
もともと前端梁にあった灯具掛けは撤去されています。
ダラリと垂れた空気ブレーキ管が何ともけだるそうです。
区名札は「岩」ですが「岩見沢第一機関区」(旧 岩見沢機関区)の所属です。「岩一」という区名札もあったそうですが、記憶にありません。今後の画像で見つかるでしょうか。DD51やED76-500は岩見沢第二機関区の所属で「岩2」の区名札を差していました。
昭和47(1972)年6月18日 苫小牧機関区
旋回窓は機関士側だけの装備です。全検上がりからそう時間は経っていないので、炭水車は綺麗です。機関車本体も北海道機ながら、そこそこキレイな状態かと。ナンバープレートの書式は、炭水車背面のものだけ異なっています。各停ではない貨物列車を数多く牽引していたのでタブレットキャッチャーは現役。
昭和49(1974)年11月3日 由仁駅
マニュアル機能の付いたオートカメラでの撮影で、標準レンズが固定されていました。一眼レフでの望遠撮影には憧れましたが、そんな高価な機材など到底購入できる状況ではありませんでした。画像はかなりトリミングで拡大しているので、輪郭が甘いのです。
昭和50(1975)年3月7日 追分駅
追分駅では貨物列車2本並びをよく見ることができましたし、ナメクジと標準形の並びもそう珍しくはありませんでした。ホームから降りての撮影は黙認状態で、みんなよくやってました。
昭和50(1975)年8月12日 志文~岩見沢
前夜、追分駅で徹夜生録をしていたので、この時はボ~ッとした状態で記憶があまり定かではありません。下り列車は志文駅を出ると左に大きくカーブした線路を進みます。この線路、当時は貨物専用線で、旅客線はカーブしないで真っ直ぐ北上していました。現在は旅客線が廃止され、もともとの貨物専用線を旅客も貨物も走っています。
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D5153
蒸機末期まで生き延びた機関車なので、多くのカメラにその勇姿が記録されたことでしょう。