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昭和49(1974)年8月 比布
名寄区時代は宗谷本線の貨物列車牽引に活躍。真夏なのにスノープラウ装着。南へ向かう上り貨物列車です。色灯式信号機がちょっと近代的。3灯式の場合、上から緑、橙、赤の順となっており、縦向きの道路用(雪国用)とは順番が逆。高い位置の信号機が本線2番線用で、低い位置のものが副本線3番線用のもの。
向って右側のステップが、梯子タイプに交換されています。スノープラウとの干渉を避けるための措置というよりも、デッキへの乗降時のし易さを考慮したものかと。
昭和50(1975)年3月16日 遠浅~沼ノ端
単機ながらなぜか爆してます。昭和50年であっても、室蘭本線の室蘭~岩見沢間はまだ蒸機列車の天国でした。
昭和50(1975)年8月 追分駅
54号機と同様に、砂撒き管取り付け部のドームカバーを撤去。随所に北海道スタイル化された部位が確認できます。いちいち書きませんが。
炭水車の増炭枠は目一杯の長さです。14号機もそうなので、名寄区所属機の特徴でしょうか。
昭和51(1976)年3月4日 小樽築港
煙室扉の上の蝶番には灯具掛けのようなものがありますが、名寄区から岩見沢第一区へ異動になってから取り付けられたもののようです。何でしょうね、これ。
また、非公式側にはボイラーに沿った手摺のような棒鋼が煙室前面まで伸び、先端部で屈曲しています。現役時代の写真には見当たらないものですが、これも何なんでしょう。本物の手摺は、その少し上方、画像左端に先端だけちょこっと写っています。
機関車全体の保存とはなりませんでしたが、手宮の総合博物館には第二動輪のみが保存・展示されているようです。
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