ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 65

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5165

フロントにはコンクリートの死荷重を載せ、ボイラーには重油タンクを載せ、除煙板に点検口はなく、ランボードと缶胴の接触部にはカバーを維持し、逆転機も動力式を維持しているという、原型+非原型っぷりが半端ありません。

しかしこの機関車の異質ぶりはそんな外観的なものには留まりません。第四動輪後方、空気圧縮機の直下に見える空気シリンダ。これこそが65号機を特別なものにしています。その特別な機能とは「軸重可変装置」です。C61やC62も軸重を変えることができますが(軸重を軽減することで入線可能な運用を拡大する目的)、それには工場でピンの位置を変えるとか何とかという手間のかかるやり方なのですが、この65号機は運用中に軸重を可変できます。キャブ前方の円筒形のものは圧縮空気ダメでここからシリンダに空気送り込んで操作します。

しかしちょっと疑問なのですが、この装置を搭載するにあたり、この65号機は加太越などの峠路に試用されたといいます。加太越のD51と云えば、重厚な集煙装置を載せた無骨な姿を連想するのですが、そこに集煙装置を載せられない65号機を何故に試用とはいえ運用に充てたのでしょう。軸重可変装置が空転防止に効果があったところで、集煙装置のない65号機では乗務員を煤煙の苦痛から解放することはできません。軸重可変装置機関車が65号機1輌だけに留まったということから、この装置は研究レベルのものだったような気がします。そして実際のところ、効果の程はどうだったのでしょうね。重油専燃機関車がその効果が認められたのにもかかわらずC59形式127号機ただ1輌で終わってしまったように、蒸気機関車では軸重可変装置も全く普及しませんでした。しかしこの装置は後にDD51、ED77(ED93)、ED78(ED94)、ED76など、中間台車を有する機関車に搭載され、活用されることになるのでした。