藤田 慶二様と田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年2月6日 米原機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D5173
72号機に引き続き、入換専用機となった73号機です。吹田第一機関区の車が何故、米原区に居るの?もしかすると米原区ではないかもしれません。
煙室前端は丸味のない角付きに改造され、フロント部の手摺は1本棒の72号機よりも充実しており、いかにも入換専用機たる風情を醸し出しています。
煙突が短くなっていますが、回転式火の粉止めを載せていたからでしょうか。
「蒸気機関車の角度」の写真を見ると、以前は前照灯にシールドビームを付けていたようです。
ナメクジのドームカバーですが、手作業の板金で形状を仕上げていたでしょうから、1輌ごとに寸法に差異があったでしょう。汽車會社製のものは煙突前部の舳先のカーブがきついという話は以前に記載しましたが(73号機は川崎車輛製でカーブは緩めですが、同じ川崎車輛製なのに72号機ではきつめ)、他にも煙突の円形がはっきり現れている形状のもの(70号機や72号機など多数)がある一方で、73号機のように煙突がドームカバーに溶け込む形状があるなどの違いも見られます。デザイン的にはともかく、製作工場としては、機能的にほとんど意味のないこうした工作に対してどんな思いを抱いていたのでしょう。
公式側の写真がないので確認できませんが、入換専用機となったのに合わせて、一度は撤去した動力式逆転機を再装備しています。
因みに77号機も入換専用機として除煙板を外していました。
どうでもいいことですが、機関車脇に置いてある3台の荷車は、大きさが微妙に異なっています。アッシュの運搬などに使用していたのでしょうか。