ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 103

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和46(1971)年2月17日 下関機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51103

長門機関区の所属なので、山陰本線の運用に当たっていたのでしょう。

砂撒き管3本揃っての直下は、標準形になっても変わらない汽車會社製の特徴。

保存されているものの、展示状態も機関車の状態もあまりよろしくないようです。

 

昭和48(1973)年の「SLダイヤ情報 秋冬特集号」をめくると、当時の山陰本線の蒸機運用は米子~下関間となっており、米子区、浜田区、長門区の三つの機関区のD51で運用を賄っています。

米子区は米子~浜田間、

浜田区は米子~長門市間、

そして長門区は浜田~下関間をそれぞれ担当していました。

この中で最も運用距離の長いのは浜田~下関間の客車列車で、823列車と828列車の上下各1本ずつ、運行距離は204.0kmです。

823列車は浜田発04:10、下関着10:32で所要時間6時間12分、

828列車は下関発12:28、浜田着18:55で所要時間は6時間27分。

両列車とも益田で30分以上停車するというのですから、何とものんびりしています。もっとも、今では浜田~下関間に直通列車は存在せず、

浜田発05:28発の列車に乗車し、途中、益田と長門市で乗り換えて下関着は11:43と所要時間は6時間15分であり、蒸機時代と何も変わりません。気動車化によりせっかく運転速度が向上しても、ブツ切運用に加えて接続の悪さのダブルパンチが所要時間の短縮に全く貢献できていません。同様のことはJR西日本だけの問題ではありませんけどね。