ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 109

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51109

火が無く前照灯が無いと思ったら、廃車直後の姿のようです。

N-2タイプの門デフ(長工デフ)を装着。重油タンクを装備した姿は、いかにも信越線の山岳地方を走るスタイルに見えます。いまだ煙室扉の取っ手はダブル。

炭水車は103号機では板台枠の台車をはく「8-20B」形式でしたが、正式に「8-20B」と組むようになったのは107号機からのようです。炭水車の振替は珍しくないので、別形式の機関車間(たとえばC55とD51とか)であれば話題にもなるでしょうが、同形式間では大して見向きもされなかったでしょうね。

エプロンがかわいらしいというか、役に立っていたのか疑問なほどの小ささです。

 

この機関車のナンバープレートの拓本(印刷物)が、彰文社サン企画出版の写真集「永遠の蒸気機関車」に、レコードとともに付属されています。この写真集は持っていませんが、蒸機末期には拓本を取るファンが機関区で機関車のフロントに上がっていたものです。苗穂機関区で一度だけ目撃したことがあります。キャブに乗って取ることもできたでしょうが、体勢はかえってキツイと思います。機関車に上がっても、機関区の事務所で事前に「拓本を取りたい」旨を伝えていたでしょうから、特に叱られることもなく、取ることができたのだと思います。今から考えると夢のようです。因みに私には機関車に上がる勇気は無かったので、垂直飛びでキャブ側面にノートを叩きつけて「部分拓本」を試みたことがあります。北海道の蒸機はとにかくナンバープレートも汚かったので、煤跡で番号がくっきり取れました(笑)。せいぜい2文字程度でしたけどね。B5サイズの大学ノートだもん。