ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 118

田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年6月17日 追分機関区

 

昭和50(1975)年12月13日 追分機関区

 

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51118

ゆく年くる年」と云えば「紅白歌合戦」に続くNHKの定番年越し番組ですが、かつては民放が共同で放送していた同じタイトルの番組がありました。昭和50年12月24日、国鉄の営業列車から蒸機の姿が消えました。それに因んだのでしょうか、民放版「ゆく年くる年」では、梅小路蒸気機関車館からの中継がありました。新聞の番組記事で何があるのかは分かっていましたが「森永エールチョコレート」ですっかり有名になった山本直純氏が登場すると、氏の指揮によって、梅小路の蒸機たちが汽笛吹鳴で「蛍の光」を演奏したのです。YouTubeでは音声だけの動画がアップされています。当時はビデオデッキを持つ一般家庭はほとんどありませんから、この番組を録画した人がいたかどうか。汽笛は音程が一定かと思っていましたが、何らかの方法で機関車ごとに音程を変えたようです。汽笛が奏でる「蛍の光」に、蒸機との別れと同時に青春との別れまでをも感じ取り、すっかりしょげ返った18歳の私なのでありました。

でもこの118号機の事は知りませんでした。多分、忘れてしまっただけなのでしょうけど。