ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 120

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区?

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51120

炭水車後方の建物が扇形車庫のように見えます。鷲別区に扇形車庫はないので、別な機関区かもしれません。

函館本線電化前の姿なので、ギースルながらも密閉キャブ、旋回窓以外は標準のままの姿に見えます。個人的に標準デフのギースルは見慣れないものなので、何か新鮮です。幾分、上向きのナンバープレートがちょっと生意気です。

車輛の形式写真を撮る際には色々とやかましい決め事があるようですが、蒸機の場合のそれのひとつはロッドの位置にあります。画像のように連結棒が一番下になる位置が望ましいとされているようです。構図として一番安定感があるからでしょうかね。それとも、図面で示されるのがこの位置だからでしょうか。なんてことを考えながら機芸出版社の「蒸気機関車スタイルブック 1963」をペラペラめくってみると、やはり図面はみんな連結棒が一番下になる位置で描かれてい・・・ないものがありました。C53(中間高さ)、6760(中間高さ)、4110(最上位置)、5680(中間高さ)などです。一応、ネコパブリッシングの「日本蒸気機関車史」も見てみると、おお、こっちは全部、連結棒を最下位置で描いてい・・・ないのが1形式だけありました。5860(最上位置)です。知らんがな、そんな形式。最下位置に描かなかった理由を知りたいものです。

もしも原子力機関車なんてのが作られたとしたらそれは蒸気機関車の部類に含まれるものの、駆動は電動機でしょうから、外観上はディーゼル機関車になったでしょうね。電気式原子力蒸気機関車とか。