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昭和42(1967)年8月8日 池田機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51137
これまでは川崎車輛、汽車會社、日立製作所なるメーカーで製造されてきましたが、134号機からは日本車輛が参入しました。これで5大メーカーのうち4社が出揃いました。残るメーカーは三菱ですが、632号機からなので登場はまだだいぶ先になります。もっとも632~635号機は戦時中の軍供出で海南島へ送り出されており、その姿はほとんど見られることはなかったでしょう。
A形と呼ばれるボイラー搭載形の重油タンクが、狩勝峠に挑む姿を連想させます。でもどうして北海道では集煙装置を装着しなかったのでしょうね。トンネルだらけの狩勝峠こそ必要だったと思うのですが。
「架線注意」札のない姿が時代を感じさせます。
ランボード縁のスロープ部に記された白。以前の126号機と位置は異なりますが、何の印なのでしょう。気になります。
「Real Line」というメーカーから、この番号特定機が発売されていますが、う~ん、微妙。赤ナンバーは本当なのでしょうか。