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昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51142
煙室扉の十字ハンドル。煙室扉のリブ付き蝶番。エプロン。高さ低めの除煙板の点検口。ドーム前の手摺。延長されたキャブの屋根。炭水車上の容量1500リッター重油タンク。撤去されずに残されている、ボイラーとランボード接触部のカバー。
砂撒き管の形状はメーカーによって異なる部分がありますが、一番後ろの砂撒き管は第三動輪の後ろ側に据えるのか、はたまた第四動輪の前側に据えるのか、の二通りがあります。一般にはバック運転時を考慮して第三動輪後ろ側に据えるのが多数派のようです。テンダー機でのバック運転はさぞやり辛かったことでしょう。制限速度も抑えられていたようです。(45km/hだったか?)あのC62でもバック運転の運用があったそうです。戦時中にはとにかく資材不足ということで、砂撒き管を前側2本だけにしたこともあったそうです。D51では確認できていませんが、戦後まもなくのD52では、砂撒き管2本だけの写真が書籍で幾つも確認できます。因みにライトパシフィックのC55やC57では砂撒き管2本が原設計で、3本ものは後で追加されたものです。