ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 167

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年12月29日 天幕駅

SAMPUKU爺さまはこの列車の乗客だったようです。

 

昭和43(1968)年12月29日 奥白滝駅

前照灯は、戦時中の灯火管制のように黒くなっています。

 

昭和43(1968)年12月29日 上川駅

 

「鉄牢」とは「鉄労」すなわち「鉄道労働組合」のことかと。国労動労と違い、ストを行わない穏健な組合だったので、過激で無分別な国労動労から敵視されていたということでしょうか。結局、お前ら国労動労(車体に落書きした張本人)のせいで国鉄が解体されてしまったじゃないか。バカ野郎。

画像の方も調子がちょっと変ですね。動輪の錘(おもり:カウンターウェイト)が妙に照り輝いています。

 

昭和47(1972)年6月14日 旭川機関区

 

昭和48(1973)年11月25日 北見機関区

 

昭和48(1973)年11月26日 旭川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51167

ギースルエジェクター機です。ギースル機の多く(20輌以上)は追分区に配置されていましたが、岩見沢第一区と旭川区にも3輌ずつ配置されていました。そして167号機も165号機同様、赤ナンバープレートだったとは。知らんかったとです。

炭水車背面のステップは、159号機と同様に追加された握り棒が特徴的です。

蒸気管ホースに白文字書かれた「エンキフ」?とは何のことでしょう。エンド側の蒸気ブレーキ管?いや違うっしょ。意味わかんない。

昭和48年でもやっぱり前照灯は黒ずんでいます。

なお、横から見ないと分からないのですが、除煙板の上部前端は角の丸味がとても小さいです。