ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 221

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

 

昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

 

昭和49(1974)年12月17日 名寄機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51221

昭和42年から昭和43年にかけて、外観の変化がよく分かります。重油タンクを降ろしたのは、狩勝峠を越える運用から解放されたことによるものでしょうか。車歴表には重油タンクの容量を1500リッターとしてありますが、ボイラーに載せているのは680リッターではないでしょうか。

煙室扉の開閉用の取っ手は、大きめな上に傾いているように見えます。

一番上の画像で、除煙板のフック掛けの孔が縦に二つ並んでいますが、これはレタッチミスによる虚像です。失礼しました。

逆転機の被いが湾曲部で太くなっています。工作上の理由でしょうか。

正面ナンバープレートの「221」の二つの「2」の字が、微妙に形が異なっています。上部の円形部の大きさが、二百の「2」の方が小さいですね。どうでもいいことが気になってしまうのが、ファンというものでしょうか。

 

江別の鐵様より情報が入りました。重油タンクの件ですが、長万部区時代に炭水車へ載せたことがあるそうです。1953年の1500リッタータンクを載せた件は確認できませんが、1967年に載せられた(車歴表では取り外したとありますが、取付の誤り)のは間違いなく、写真も出てきました。ただし、撮影した著者が既に他界されており、遺族の方とも連絡が取れないので、今はアップすることができませんし、それが3000リッターだったのかは判断できません。名寄区時代には取り外されています。狩勝運用を外れてボイラーから重油タンクを下ろしたものの、次の長万部区では、藤城線対策で炭水車に載せたようです。