ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 241

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年12月24日 美唄

 

昭和50(1975)年3月7日 苫小牧機関区

 

昭和50(1975)年12月13日 追分機関区

 

昭和50(1975)年12月24日 追分機関区

 

昭和50(1975)年12月24日 紅葉山駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51241

新製配置から終焉まで、生涯を追分機関区で過ごした稀有な存在だった241号機。

国鉄最後の蒸機牽引列車(貨物列車)でフィナーレを飾り、地元の追分に保存される予定でしたが、追分機関区の火災事故で焼失。関係者やファンは言葉もありませんでした。代替として安平の道の駅には320号機が保存されています。

最終運用にあたり、603号機と煙室扉のハンドルを交換し、ランボード縁には白を、主連棒には赤を差しています。C57 135の時とは異なり、お別れ式は催されず、機関区の方々のせめてものの心配りでしょう。

スノープラウの向かって右側には切り欠きを設けてステップ化しているのが珍しいです。他にはギースル煙突であること以外、これといって外観的特徴はありません。ギースル煙突には回転火の粉止めも集煙装置も付けられたことがないので、頭回りはスッキリしています。

焼失した姿の画像は過去にアップしていますので、ここには上げません。