田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区
ランボード縁の白塗りにリンゲルマン濃度計。そして、キャブ側面のナンバープレートは、タブレットキャッチャーとの干渉を避けるために、前方へ飛び出しています。九州の機関車らしい姿です。回転火の粉止めを装着していない姿は、ファンからの評価も高かったでしょうね。
昭和46(1971)年2月19日 早岐機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51250
鳥栖区から早岐区へ移り、リンゲルマン濃度計が外されています。
このおよそ半年後には早岐区から門司区へ異動となりますが、画像ではなんかもう火を落としているようにも見えます。
この後も門司区から南延岡区へと異動となります。短期間でコロコロ異動したのは、電化工事の進展の影響で、機関車をやりくりした結果なのでしょうかね。