ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 435

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和48(1973)年4月12日 中津川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51435

誕生から長い間、南東北で活躍し、晩年は短期間のうちに中津川機関区、長門機関区へと転配されました。この画像は、わずか8カ月間しか所属しなかった中津川機関区での姿になります。

ネット上にある会津若松運転区時代の画像を見ると、キャブ屋根が延長され、炭水車には重油タンクが設置されています。正面の前照灯はシールドビームですが、炭水車のものはLP42かLP403になっています。また正面の「架線注意」札の位置が異なっており、前照灯の直下に貼られていました。更に、垂直の排障器(機番が記されています)ですが、これが会津若松運転区時代には撤去されていました。加えて、前端梁のボルト孔も、中津川区に来てから追加されています。スノープラウは取り付けずの異動で、中津川区のものを取り付けるためにボルト孔を新たに設けたということでしょう。もう一個、担いバネカバー前面の灯具掛けも中津川区で取り付けたもののようです。

こうなると最終配置区である長門区時代の姿も気になりますが、残念ながら見つけられませんでした。

因みに、除煙板の上部ステーに固定された警戒マークと思しき札ですが、これは会津運転区時代からのものです。意味は「架線注意」札と同じものでしょう。