田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年10月 浜田機関区
外観のテカり具合から、全検上がりの様に見えます。中途半端な構図になっているのはスキャン時の不具合のような気がします。
昭和43(1968)年10月か 浜田機関区か
C57 120(米子)と並ぶ437号機。C57の細身が際立ちますが、それだけに集煙装置搭載の印象も随分異なるものです。同じ鷹取式を装備しているのに、C57では重苦しく見えますが、D51では逞しさが増します。因みにC57 120は重油タンクも背負っています。
昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区
廃車を前提にした休車のようです。
給水温め器の向かって右側には何やら突起物があります。お椀状の蓋のように見えますが、他にも幾つかの機関車で同様のものが見られます。ある写真集には「洗缶キャップ」と表記していましたが、給水温め器の配管を洗浄するものならば「洗管」の方が適当かと思います。
煙室扉回りの手摺ですが、向かって左側のものが除煙板上部ステーのところで切れています。一体、何があったのでしょう。
エプロンの幅が、昭和43年の時よりも狭くなっています。一体、何があった。
1灯だけの後部標識灯は、通常とは反対側に取り付けられています。
いささか窮屈そうなキャブ側面。鋳物の車両換算票は蒸機にはよくお似合いです。
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51437