田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)~43(1968)年 糸崎機関区
広島機関区時代の姿ですが、入換用と思われる手摺付きの踏段がフロント部に設置されています。入換専用機ではないので、この姿で呉線を走る姿がネット上の写真で確認できました。なんとまあ、物々しいことです。
除煙板に点検口はありません。
後部標識灯を前端梁に埋め込むのは広島工場担当機の特徴かと。
蒸気排気管のカバーは残していますが、逆転機はランボード付近のカバーがありません。
昭和47(1972)年8月28日 厚狭機関区
広島区時代の入換用踏段は撤去され、除煙板に点検口が設けられ、フツーの姿になりました。厚狭区時代には美祢線の石炭輸送が激減しており、わずか1駅区間の枝線であった南大嶺~大嶺間では、混合列車とは名ばかりの貨車無し客車1輌だけの軽い仕業をこなしていました。(片道はバック運転。)とはいえ、石灰石輸送は盛んで、厚狭~美祢・重安間には20往復近い列車が運転されていました。
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