ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 521

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月27日 長野運転所

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51521

集煙装置と重油タンク、山岳路線に挑む山男の出で立ちです。

ランボードの縁に差された「白」は前端梁まで回り込んで、連結器のところで斜めに下ろされてVサインを描いているのでしょう。

キャブ側面前方にはキャブへの換気装置が見えます。長野工場担当機関車のうち、信越線、篠ノ井線、中央線の運用機に装着されたようです。

ドームの砂撒き管元栓にはカバーがあります。氷雪による対策でしょうか。氷雪が半端ない北海道では見たことがありません。

従台車は雪が邪魔して画像では判りにくいですが、鋳鋼製を履いています。この期に及んでという気もしますが、番号で仕様が区分されないのはファンとしてはスッキリしませんね。番号で区分されない構造の違いといえば、モーションプレート先端部の孔もあります。丸2個となすび型1個の違い。製造工場の違いでもなさそうだし。砂撒き管の形状も除煙板点検口の形状もマチマチで、スケールモデルを製作するモデラ―の苦労がしのばれます。