田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
撮影日不明 高山駅
昭和42(1967)年10月22日 高山機関区
大型のLP403を据えて、表情に力強さを感じます。
ナンバープレートは形式と機番との間に隙間がないAD66180図によるもの。しかしキャブ側面のプレートはAD66398図。プレートを交換した時期が違ったのでしょうか。
担いバネカバーの前蓋は下開きながら、左右で蓋を固定しています。少数派の構造です。
キャブ側面の製造銘板で「濱」は「浜」の旧字なのに、「鉄」は「鐵」ではないのですね。
排障器は垂直タイプのもののみ。
昭和43(1968)年7月7日 高山機関区
LP403がLP405に交換されて、力強さは失われ、ちょっと頼りない顔に。
排障器が2段構えになりました。こちらが原設計でしょうけど、垂直タイプのものにはもともと排障板はありません。
昭和43(1968)年9月28日 高山機関区
排障器があまり例を見ないスタイルに変更されました。炭水車背面ではこんな構造のものがあったかもしれません。
たった今気づいたのですが、除煙板の上部ステーって、パイプを使っているのでしょうかね。取り付け部は潰しているように見えます。身近なC11では平板だったので、他の機関車も同じだと思い込んでいました。
高山機関区のD51の運用は貨物列車の牽引で、高山~飛騨金山間のわずか69.7km。昭和34(1959)年から昭和44(1969)年までの10年間の活躍でした。
そして稲沢第一機関区を経て中津川機関区へ異動。前照灯はLP403に戻され、集煙装置を装着。ナンバープレートは青に。
昭和46(1971)年6月26日 中津川駅
炭水車背面のナンバープレートもキャブ側面と同じAD66398図によるものでした。結局、正面だけがAD66180図によるものでした。
昭和48(1973)年4月14日 中津川駅
廃車後、日本海博覧会で展示。残念ながら集煙装置は撤去。
そして現在は金沢市で厳格な管理の下、偏平な形状のスノープラウ付きで保存されています。
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