ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 545

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月17日 人吉駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51545

肥薩線、人吉~吉松間に立ちはだかる矢岳越えに対する重装備です。集煙装置の嚆矢である敦賀式かと思いきや、鹿児島工場で製作されたものなんだとか。

他の重装備としてドーム後方にはA型重油タンクを載せ、更に非公式側のランボード上には補助タンクまで載せています。人吉区のA型の容量は少し小振りの600リッターで(一般的には680リッター)、補助タンクは200リッター。せっかくの補助タンクですが、晩年は使用しなかったそうです。

すこし分かり辛いのですが、ランボードから補助タンクにかけて梯子が設置されています。

また除煙板の陰になって見えないのですが、ドームの砂撒き管元栓には庇が付いています。

ナンバープレートの左上には灯具掛けのようなものが見えますが、なぜこんな場所に。灯具ではなく道具入れを掛けるのでしょうかね。

先輪の奥の方から排障器へ伸びるヘロヘロしたハの字の何かが気になります。お隣のキハ17系もですけど。SAMPUKU爺様が線路に降りて撮影したことは気になりません。ここはホーム端からスロープで降りる構内踏切でしょう。

この後、直方区へ異動になると重装備は解かれ、普通のD51に戻ります。