ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 572

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和44(1969)年11月27日 鹿児島機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51572

肥薩線矢岳越えの運用に向けて、鹿児島工場製の敦賀式集煙装置と、ドーム後方にはA型重油タンクを搭載しています。非公式側のランボード上には200リッターの補助タンクが載っていますが、晩年は使用されていなかったとか。

シリンダーの各部にオイルを送るポンプ箱が、通常はランボード下にあるものが上にあります。繰り出し管が前方へ伸びているせいでしょうか。

砂撒き管元栓部の庇が特徴的です。目的は不明ですけど、人吉区の機関車の特徴でしょうか。

炭水車背面の前照灯はLP42。デカ過ぎず、小さ過ぎず。後部標識灯は埋め込み式。ナンバープレートの位置は低めでしょうか。

ここで視線を前方へ移すと、シリンダーの後方にある「弁心棒滑り子」には何やら分厚いカバー状のものが覆っています。他の写真ではこんなものは写っていないので、この時だけ何かの理由で載せたものなのでしょう。矢岳越えの走行写真は溢れる程に、あの本にもこの本にもあるのに、その機関車のディテール写真って、あんまり見かけません。