田中 泰三様とSAMPUKU爺様と"撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年6月2日 直江津機関区
背後の扇形車庫は22番線を有する巨大なものらしいです。機関車の後方に見えるホームのような台は、何のためのものなのでしょう。
右に見えるレンガ+コンクリート造りの台は、給炭台ではなさそうです。給炭設備は車庫からもっと離れた場所に位置しています。(撮影立ち位置の後ろ側。)悪評高き「国鉄蒸気機関車156機関区全図鑑」によれば「石炭庫」となっていますが、意味不明です。もしかすると、古い給炭台だったとか。もともとこの台には三角屋根とそれを支える柱がありました。
昭和43(1968)年11月26日 長岡第一機関区
スノープラウの形状が特徴的です。サイドステップと融合したように見えますが、おそらく支柱はそのまま残して踏段だけ撤去し、スノープラウに踏段を設けたのだと思います。中央部の切り欠きが大きく、ここから雪が足回りに潜り込んでしまいそうです。スノープラウの取付ボルトのナットでしょうか、タッパが長いです。どんなレンチで締めるのでしょう。
ランボードスロープ部の縁には何やらボコボコしたものが見えますが、一体これは何?
キャブ前窓の下からは、運転室換気装置のホースが伸びていますが、先端がラッパ状になっています。通常だと円筒形の塵濾しが付いているのですが、そういう機能はあるのでしょうか。空気中のホコリや虫までも、モロに運転室内に入りそうです。
キャブの屋根は延長されているようです。
昭和44(1969)年9月14日 谷浜~有間川
直江津区の機関車は補助灯は装備しなかったそうです。
冬場の北陸本線は日本海からの強烈な風がキャブ内に吹き込み(防寒用カーテンを吊るしても隙間から吹き込んでくる)、乗務員は寒さとも闘わねばならなかったんだとか。機関助士は、カマ焚に忙しく体を動かすからまだいいようなものの、機関車は着座状態が続きますから逃げ場のない状況下でさぞや苦労されたことでしょう。もしかして換気装置からも冷たい風が吹き込んできた?
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