ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 605

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月17日 追分機関区

603号機、604号機と同じ日立製ながら、ナンバープレートの位置が低いだけで兄弟機には見えません。新製配置が、603・604号機が揃って宇都宮区なのに対して605号機は浜松区だったという違いが影響しているのでしょうか。補助灯未設置です。

除煙板前端の手摺の形状がまちまちで、統一されていません。

奥の排障器の形状が、通常の直線的なものではなく、湾曲したものになっています。強度的にどうなんでしょう。作るのに手間もかかるでしょうし。

 

昭和43(1968)年12月24日 岩見沢第一機関区

ギースル機でした。追分区に配属されたことでその対象となったのでしょう。

スノープラウに機番が書かれており(溶接で盛っているかもしれません)、しっかり判別はできないものの、D51605には読めません。二段折れの排雪板がちょっとカッコいい。

 

昭和43(1968)年12月25日 夕張→鹿ノ谷

右端には夕張鉄道の線路が見えます。その終点の当初の駅名は新夕張(昭和29年に夕張本町に改称)。ん?どこかで聞いたことがあるような(笑)。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51605