ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

先輪がディスクタイプです。後にスポークに戻されますけど。

適度に磨かれた車体、リンゲルマン濃度計、ランボード縁の白、磨き出された給水温め器の飾り帯など、九州機らしさが見て取れます。ポンプ箱は、繰り出し管が標準よりも幾分張り出している関係からか、ランボード上に移設されています。

 

昭和45(1970)年9月2日 佐賀駅

先輪はスポークに戻されています。

C11との重連ですが、回送でしょうか補機なのでしょうか。佐世保線には峠越えのためにC11による補機運用がありましたが、その場合、前補機での運用でした。

 

昭和46(1971)年2月19日 鳥栖機関区

埋め込み式の後部標識灯、漏水管の設置が特徴的です。漏水管は、北海道機では見たことがありませんが、冬場は凍結してしまうからでしょうか。単に、北海道人の気質から「んなもん、いらんわ」ということだったのでしょうか。

 

昭和47(1972)年5月22日 新津駅

一転して最終配置である新津区時代の姿です。その前の秋田区時代の施工だと思いますが、前端梁にはスノープラウの固定用ボルト孔が設けられ、キャブ前窓は旋回窓になっています。また、排障器では、垂直材にあった排障板が撤去されています。撤去せねばならぬ理由とは何だったのでしょう。スノープラウに干渉でもしたのでしょうか。前照灯の向かって左横には補助灯掛けと思われるものがあります。結局、使わず仕舞いだったのでしょうか。分からぬことばかりです。

車歴は↓こちら。

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