田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月20日 平機関区
昭和47(1972)年8月25日 紀伊田辺機関区
長町区時代とは姿が変わっています。
補助灯が撤去され、鷹取式集煙装置・重油タンクが搭載されました。奈良運転所時代には関西本線の加太越えに活躍した他、草津線や紀勢本線、参宮線の運用もありました。
フロントの後部標識灯ですが、長町区時代はどこに取り付けていたのか。灯具掛けがないので、付けていなかったのかも。
一番後方の砂撒き管の形状が独特なものに見えます。日本車輛製の特徴?ではなさそうです。
除煙板のフック掛けの孔が、いささか大きいように見えます。
ポンプ箱の扉が開きっぱーなのはたまたまでしょうか。
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