田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。
「D51 7 37」に見える正面ナンバー。また「3」が幾分、転んでいるようにも見えます。
昭和47(1972)年6月14日 岩見沢第一機関区
キャブのナンバーはまともな配列です。
一ノ関区時代には炭水車上に重油タンクを載せ、釜石区時代には郡山式集煙装置を載せました。五稜郭区へはそのままの姿でやってきたようですが、その時の写真って見てみたいものです。
昭和49(1974)年3月 遠浅←沼ノ端
皆んな訪れた植苗のお立ち台。平坦なのに煙を上げるシーンがたまに見られました。蒸機列車同士のすれ違いもありましたね。
昭和49(1974)年3月25日 三笠駅
幾春別へ向けて発車する貨物列車。幌内への運炭列車を牽引する9600の姿もあります。
蒸機の運転ではキャブの窓を開けているので、冬場はかなり寒かったようです。後ろのカーテンがせめてもの防寒設備。
昭和49(1974)年12月18日 岩見沢第一機関区
ナンバーの配列が矯正されたようです。「3」もちゃんと襟を正しています。
昭和50(1975)年3月 萱野→三笠
幾春別川の川沿いを往く。岩見沢~幾春別間はD51が、三笠~幌内間は9600が貨物列車を牽引していました。
北海道では、トラブルがあってから(どんな内容かは忘れました)清缶剤送入装置は撤去されました。
廃車後は無縁な和歌山県の湯浅町で保存されますが、見るも無残な姿で放置された結果、呆気なく解体されてしまったようです。何してくれてんねん。
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